Discover Aoshima’s history 青島今昔 〜その8〜 2023.09.08 「⻘島海水浴場」 ⻑谷川 司 海と人との関わりにも、歴史がある。 楽しみのために海を訪れる。水を浴び、泳ぐ。 明治期、海水浴の文化が広まった。 ⻘島の海は、海水浴にうってつけであった。 大正期には、宮崎鉄道によって海水浴場が設けられた。 ■「宮崎鉄道 沿線名所図会」[表紙・一部分](宮崎鉄道、澤田文精社、1924 年 5 月) 軽便鉄道が避暑をもとめる人々を運び、夏の⻘島海岸は賑わうようになる。 大正期の観光案内には、遊泳区域を示した赤い旗が記されている。 「宮崎名所図会」(杉本宗七商店、澤田文精社、1924 年年 5 月)には、海上のやぐらや岸辺のテント、水着の人が描かれている ■「宮崎名所図会」[一部分](杉本宗七商店、澤田文精社、1924 年年 5 月) 郷土資料『日向 ⻘島特集号』 (日向郷土会、文華堂、1933 年 4 月、p.198)の図がある。 ■郷土資料『日向 ⻘島特集号』(日向郷土会、文華堂、1933 年 4 月、p.198) 気を引くのは、海水浴場の位置である。 ⻘島にかかる弥生橋の南側に「海水浴場」と書かれている。 『郷土誌⻘島』(日高利助編、⻘島公⺠館、1970 年、p.32)によれば、 1935(昭和 5)年頃、弥生橋の南側にも、⻘島村営の海水浴場があった。 ■絵はがき「(日向⻘島)安全無比ノ海水浴場 SAFETY SEA-BATHING PLACE, AOSHIMA」 当時の風景を伝えるのは、いくつもの絵はがきやモノクロームの写真である。 遠浅の海の岸辺では、子どもたちが遊ぶ。 橋のシルエットと島影が包み込むように海水浴場が広がる。 同じ場所の異なる景色を眺める。 すると、過ぎた季節が想い起こされるようである。