1. HOME
  2. 特集
  3. 青島今昔 〜その8〜

サイドストーリー

青島今昔 〜その8〜

「⻘島海水浴場」
⻑谷川 司

海と人との関わりにも、歴史がある。
楽しみのために海を訪れる。水を浴び、泳ぐ。
明治期、海水浴の文化が広まった。

⻘島の海は、海水浴にうってつけであった。
大正期には、宮崎鉄道によって海水浴場が設けられた。


■「宮崎鉄道 沿線名所図会」[表紙・一部分](宮崎鉄道、澤田文精社、1924 年 5 月)

軽便鉄道が避暑をもとめる人々を運び、夏の⻘島海岸は賑わうようになる。

大正期の観光案内には、遊泳区域を示した赤い旗が記されている。
「宮崎名所図会」(杉本宗七商店、澤田文精社、1924 年年 5 月)には、海上のやぐらや岸辺のテント、水着の人が描かれている


■「宮崎名所図会」[一部分](杉本宗七商店、澤田文精社、1924 年年 5 月)

郷土資料『日向 ⻘島特集号』 (日向郷土会、文華堂、1933 年 4 月、p.198)の図がある。
■郷土資料『日向 ⻘島特集号』(日向郷土会、文華堂、1933 年 4 月、p.198)

気を引くのは、海水浴場の位置である。
⻘島にかかる弥生橋の南側に「海水浴場」と書かれている。

『郷土誌⻘島』(日高利助編、⻘島公⺠館、1970 年、p.32)によれば、 1935(昭和 5)年頃、弥生橋の南側にも、⻘島村営の海水浴場があった。


■絵はがき「(日向⻘島)安全無比ノ海水浴場 SAFETY SEA-BATHING PLACE, AOSHIMA」

当時の風景を伝えるのは、いくつもの絵はがきやモノクロームの写真である。
遠浅の海の岸辺では、子どもたちが遊ぶ。
橋のシルエットと島影が包み込むように海水浴場が広がる。

同じ場所の異なる景色を眺める。
すると、過ぎた季節が想い起こされるようである。