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青島今昔 〜その9〜

太陽と遊ぼう 夏の宮崎と「水着バス」
1968 年の宮崎、夏の話題は「水着バス」であった。

水着のままバスで泳ぎに出かけ、濡れたまま帰る。
1968(昭和 43)年 7 月、全国初「水着バス」の運行が始まった。

宮崎交通の「水着バス」は、大淀川畔の旅館をまわり、 水着姿の若者や家族を乗せ、⻘島海水浴場へ直行した。
着替えの手間はなく、帰りも濡れたままで構わない。
座席にはビニールのカバー、背もたれにはタオルが掛けられていた。


全国初の「水着バス」は、TV や雑誌で取り上げられた。
1972 年には、宮崎市観光協会と宮崎交通で水着バスの宣伝隊が組織された。
「ミス水着バス」10 人を連れた宣伝隊は、北九州、福岡、熊本、大分でキャンペーンを行っている。

「日本国内でも指折り」のきれいな宮崎の⻘島、富土の海水浴場へ向かう。
利用者は年毎に増え、「水着バス」は、南国宮崎の夏の名物になった。

太陽と遊ぼう——南国宮崎の夏を楽しむ。1960年代に広まったうたい文句である。
「宮崎にはほんとうの夏がある」「太陽と遊ぼう・太陽と泳ごう」——九州北部の若者たちが夏の宮崎を訪れる。
「アロハで飛ぼう」——アロハ・シャツで南九州・南国宮崎を航空機で訪れる旅行企画。


いずれも、かつてシーズン・オフと言われた宮崎の夏を彩るフレーズや旅行企画である。
暑い夏を楽しみに変える。かの納涼バスや水着バスも夏を楽しむ企画であった。

水着バスは1990年代の後半まで運行を続けた。そして夏は南国宮崎の魅力を引き立たせる季節となった。

*「太陽と遊ぼう」「アロハで飛ぼう」「水着バス」「納涼バス」については、宮崎交通OB・渡辺綱纜先生の著作を参考にした。

文献
渡辺綱纜『空ある限り』宮崎日日新聞社、1997年。
宮崎交通社史編纂室編『宮崎交通70年史』宮崎交通、1997年。