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サイドストーリー

青島今昔 〜その1〜

「青島」は縄文時代の後期にはすでにその存在があり、たいへん古い歴史を持っています。青島がどのようにしてできたのかについては、研究者によって様々な説があります。

青島は周囲860m、面積約4.4ha、高さ約6mの島であり、陸繋島になりつつあり、対岸は青島海岸と呼ばれ、青島海水浴場などを含む一大観光地になっています。青島と青島海岸とは弥生橋によって結ばれています。

青島を撮った最も古い写真と思われる1枚。大正時代と推定されます。弥生橋は木製で、青島には背の高い松が繁っています。この松は現在はありません。古い書物には、この松が枯れた理由について「だんだんと枯れたようだ」とありましたが、理由は定かではありません。

青島の地形と自然
宮崎県南部海岸には南西から北東に向かって黒潮が、同北部海岸には北から南へ沿岸流が流れており、これらの潮流によって貝殻の破片などが集められ隆起波食台上に堆積することで青島が形成されました。
珍しい地形であることから「青島の隆起海床と奇形波蝕痕」として日本国の天然記念物に指定されています。

昭和30年台の青島

島では200種類以上の植物が確認されており、そのうち熱帯性及び亜熱帯性の植物が27種あり、北半球最北の亜熱帯植物群落となっています。中でもビロウの大群落は貴重であることから「青島亜熱帯性植物群落」として日本国の特別天然記念物に指定されています。

鬼の洗濯板

本来ならば寒さにより枯死する高緯度の場所にこのような熱帯性及び亜熱帯性植物の植物群が存在する理由として、学者により二つの説が提起されています。
一つは海着帰化植物説といい、島の沖を流れる黒潮によりフィリピンや沖縄方面から南方系の植物の種子や生木が漂着し繁栄したという説。

ビロウ樹と遊覧バス車掌

もう一つは遺存説といい、第三紀前に日本で繁栄した高温に適する植物が気候、風土、環境に恵まれたこの場所に取り残され、今日まで繁栄したという説。
現在では後者の遺存説が有力視されている。紀前に日本で繁栄した高温に適する植物が気候、風土、環境に恵まれたこの場所に取り残され、今日まで繁栄したという説。
現在では後者の遺存説が有力視されています。

昭和31年の青島

青島の歴史
島の中に青島神社があり、神聖な場所であるため祭日以外に一般人が立ち入ることは禁じられていましたが、1737年(元文2年)以降、弥生(旧暦の3月)後半の一時期に限り一般人の参詣が許されるようになり、明治以降は年間を通して立ち入りできるようになりました。昭和に入ると周辺の青島海岸に遊園地や海水浴場が整備され、ホテルが建ち並ぶ観光地になりました。2003年(平成15年)において年間約70万人の観光客が訪れています。

昭和25年の青島

画像は宮崎交通株式会社・資料編纂室よりお借りしています。